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他者が見たゴッホ、自らを見つめたゴッホ──「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」


「自分のことは自分が一番わからない」とはよくいわれること。

今回の「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」で印象的だったのは、2つの肖像だった。

ジョン・ピーター・ラッセルが描いた《フィンセント・ファン・ゴッホの肖像》と、ゴッホ自身が描いた《画家としての自画像》。どちらもゴッホなのに、そこに映るゴッホはまるで別人のようだった。

ラッセルが描いた他者としてのゴッホ

ジョン・ピーター・ラッセルの《フィンセント・ファン・ゴッホの肖像》(1886年)は、静かに、でもまっすぐと鑑賞者を見つめる力強さがある。色がシンプルで複雑に絡み合っていないからこそ、人物の生命力や存在感を強く印象付けるのかもしれない。

キャプションによれば、ゴッホ本人もこの肖像を気に入り、「自画像よりも似ている」と語っていたのだとか。

ラッセルが描いたのは、ゴッホ自身では捉えられない”外の世界に向けた自分”だったのだろうか。

自らが描いた内なるゴッホ

一方で、《画家としての自画像》(1887年12月-1888年2月)にはまるで別の気配が漂う。正直、今回の展覧会のメインビジュアルでもあり、それを見たときは、そんなに大きな関心は寄せていなかった。

でも、実物を前にして、印刷物では感じなかった緊張や不安が立ち上がってきた。作品の右側から見ると目がうるみ、今にも泣き出しそうに見えるのに、正面や左側からだと光がなく、まるで闇を見つめているような空虚さを感じる。

髪や肌には赤・緑・青・黄とさまざまな色が散りばめられているものの、明るさというよりもなぜか暗さが漂う。青い服に点在する黄色も、元気さがというよりも内面の蠢きや焦燥を表しているよう。

筆をぎゅっと握りしめる手には、崖っぷちに立つような緊張感。それでも筆致には揺るぎない力があり、絵を描くことだけが、彼の“生”をつなぐ唯一の支えだったからか。

2つの肖像が映し出す、自己と他者のあいだ

他者が見る「像」は、ときに自分が思う以上に生き生きとしている。

自分が見る「像」は、重く沈んでいる。

そのどちらもがゴッホであり、そのあいだで揺れ動くあいまいさこそが、一人の人間の輪郭なのかもしれない。