ズレが生んだ美と悲劇──「異端の奇才 ビアズリー展」
「あれ?依頼した内容と違うな……」。
仕事はもちろん、それ以外のときでも、ときどきお願いした内容と「なんだか違う結果になる」ことがある。(申し訳ないことに、自分が相手にそうした思いをさせたこともあるのだけれど……)
それは私の伝え方にも問題があったのだろう、という反省も込めつつ、「なぜこうなった⁉」と渦中にいるときはものすごく焦る。
イラストレーターのオーブリー・ビアズリーと、彼に『サロメ』の英訳版の挿絵を依頼した作家オスカー・ワイルドのこじれた関係も、まさに「現代のあるあるでは!?」と思う内容だった。。
細密な白黒のペン画による、緊張感のある鋭い線。狂気を感じさせる痛々しさがありながら、幻想的で耽美な世界が広がる。美しいものには棘があるように、妖艶な人物たちの表情には残忍さすら漂う。
白と黒、線と面、美と醜、生と死、緻密さと余白、優雅さとグロテスク……。視覚的・概念的な対比が巧みに使われ、物語の劇的な瞬間を最大限に引き出し、大胆に表現する様は、みるものに強烈な印象を残す。
ビアズリーの作品、それ単体としてみるならば、蟻地獄に引きずりこまれるがごとく、その魅力から抜け出せない。
けれど、「挿絵」として考えたとき、むしろ作品を飲み込んでしまうほどの存在感には違和感もある。
サッカーでスター選手が一人いても、チームとして機能しなければ勝てない。挿絵という作品との一定の関係が求められているフィールドでは、彼のもつ画力や表現したい世界は収まりきらなかったのかもしれない(ワイルドを揶揄するような挿絵もあるくらいだし、そのこじれぐあいといったら……!)。
個性と役割、場とのズレ。それが時に「美」を生みながらも、「悲劇」にもなる。そんなことを思った。
正直、「異端の奇才 ビアズリー展」では、作品よりも2人のこれじた関係が気になっていた感じがある。