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「わからない」のままでいる


東京国立博物館で開催中の「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」を見に行った。

内藤氏の作品は今年の2月の豊島美術館以来。知人いわく、豊島美術館の作品は「わかりやすい」といわれるそう。

そこでは空間の中で太陽の光、水や風の流れとそれらが奏でる音を静かに感じていく。

自然そのままに感じるというよりも、人工物があることでより感じさせられるような感覚だった。

一方、東京国立博物館での展示は私にはよくわからなかった。本館特別5室で作品に光が降り注ぐ様子は豊島美術館に近いように感じたのだけれども。

もう一つ印象に残っているのは、ガラス瓶と水で構成されていた《母型》。展示場所が本展を見る見ないに関わらず見れる場所で、ソファーに座って眺めていると人々が作品の存在を気に留めずに通り過ぎていくことが少なくないことに気づく。

まるで街中にあるけれども存在を認識されていないパブリックアートのようでもあった。空気みたいな存在?と思ったところで、《母型》は下が空気で上に水があることから大気の様子だろうかと考えると、ここにある意味はそういうことなのかなぁと考えてみたり。 

もやもやするけれども、こうした「わからない」状態に身を置くのがいいような気がする作品たちでもあった。時間をかけて見続けることを味わっていくような。 

9/7からは銀座メゾンエルメス フォーラムでも展示が行われるので、それもあわせて見ると自分のなかでなにかが浮かび上がってくるのかな(変わらないかもだけど……!)。