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「翻訳できないわたしの言葉」


言葉を奪われなければ、その言葉は本来なら自分のなかにあったはずなのに。

東京都現代美術館で7/7まで開催中の「翻訳できないわたしの言葉」では、5人のアーティストが、日本の単一言語社会では無視されている言語に対する様々な問題を作品を通じて投げかける。

特に心に突き刺さったのが、アイヌであるマユンキキさんによる映像作品。写真家で韓国舞踊家の金サジさんとの対話では、本来第一言語になりえたかもしれない言語を改めて学ぶことについて話していた。

マユンキキさんはアイヌで金サジさんは在日韓国人3世。2人の祖父母は韓国語、アイヌ語を話していたものの、日本の植民地政策やアイヌ同化政策などにより強制的に日本語を身につけることになる。また、金サジさんのご両親は日本語話者として生きているという。

2人は第一言語が日本語であるものの、もし祖父母が言葉を奪われなければ、本来は祖父母と同じ言葉が第一言語になりえたかもしれない。そして、一度奪われた言語は自然には身に付かず、改めて学ぶ必要がある。これは、3世ならではの抱える問題でもある。

言葉を習うというと、政治的・経済的状況からその言葉を身に付けざるを得ない状況以外には、その国が好き・その国の音楽が好きという、ポジティブな動機からであることは少なくない。

特に後者と比較した場合、すべてを前向きな気持ちで学ぶのとは異なる状況に身を置くことになり、苦しさが募る……。そして、そうした苦しさを知らず、〇〇にルーツがあると聞けば、「〇〇語を話せるんですか?」と気軽に聞いていた自分が恥ずかしくなる……。

日本に生まれ、日本語を身に付け、日本語話者であることになんの違和感も抱かずに生きてきた私にとっては、そうした問題があるということすら知らなかった。  

今回この作品を見て強く抱いたのは、言葉を奪った歴史から目を背けてはいけないということ。そして、そうした出来事を繰り返してはいけないということ。 

東京都現代美術館での「翻訳できないわたしの言葉」は2024年7月7日まで。