『関心領域』と余白のデザイン
自分の暮らしを大事にしたいと思うと、関心の領域は自ずと狭まってしまう。
とはいえ、知っている以上は自分が意識するとしないに関わらず、無関心ではいられないんじゃないかなとも思った。たとえば、泣き声や情緒不安定さといった身体反応にあらわれるように。
目の前のこと以外に関心を「向けよう」とするならば、どうしても余白が必要になる。
『関心領域』では直接的に描かないからこそ、鑑賞者が意味を考えたくなっていく余白が散りばめられていた。ドーナッツの穴を描くように、周縁を描くことで中心が際立ち、そこに惹きつけられる。
真っ白な画用紙とも違って、手が届きそうな取っ掛かりがあっての余白。
そんないい塩梅の余白をどうデザインできるかが、対象者の自発性や能動性を生み出すことにも影響するんだろうなぁ。何がいい塩梅になるかは、試行錯誤なのだけど。
ほかにも思ったのは。
- 向けられる関心の数には限界がありそう
- 考えさせないように、時間や精神的な余白を奪われた状態にさせられている
- 哲学的に考えるクセが必要そう